表札
表札を注文した。
我が家は賃貸の集合住宅なので、ネームプレートといったほうがしっくりくる気も。
娘の入学が近づいて、ときどき小学校からお知らせの封筒がポストに届く。
近所の先輩児童が届けてくれているらしい。
昨日も半日入学や入学前説明会、学用品の販売会等のお知らせが届いたのだけど、ふと我が家の表札を見ると、なんとカラッポ。
届けてくれた子、本当にここで良いのだろうかと、迷わなかったかな。
このあたりは一戸建てが当たり前だから、慣れてないだろうに。
以前はパソコン+プリンターで作った紙を入れていたけど、今回は忘れていたらしい。
引っ越してきたのはもう4年も前だけど。
なにしろ一戸建てでもなく玄関は道路から見える場所でもないため、家の「顔」に対する意識は希薄。
お向かいの住人と自分の家族が不快に感じない程度に掃除するくらい。
これではいけないと、ネットで調べてサイズを測って即注文。
自作するより確実に早い。
我が家の苗字は画数少なめでなんとなく寂しいので、ローマ字表記も入れてみた。
お値段1800円。
安いけど、1代限りとしたら割高な気もする。
次に引っ越すのは一戸建てかマンションか、はたまたアパートか知らないけれど。
いつかもわからない。
考えても仕方が無い。
百も承知なのに、つい気がついたら考えている。
私が生まれ育った土地でも一戸建てが当たり前だった。
小学校2年生の時、初めて出来た”親友”がアパート住まいで、その存在を初めて知った。
子供にとってはただ単純に友達の家であり、別になんとも思っていなかったのだけど、あるとき何故かそんな話になった。
家を「借りている」という事がいくら聞いても理解できず、
「で、本当のおうちはどこにあるの?」としつこく聞いた。
「だ・か・らー、本当のおうちとか、ないんだってば!」と繰り返す友達。
だって、家がないなんて、理解できないの。
今から思えば、結婚しても親と同居して老後を引き受け、家と畑を受け継いで生きて行くのが当たり前というほうが余程理解に苦しむのだけど。